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      西国第三十三番札所 谷汲山 華厳寺 (たにぐみさん けごんじ)


         本  尊 : 十一面観世音菩薩(秘仏)          真  言 : おん まか きゃろにきゃ そわか
         開  基 : 開祖は豊然上人(ぶねんしょうにん)、本願は大口大領          開  創 : 798(延暦17)年

         御詠歌 : 「世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり (現在)」
         御詠歌 : 「万世の 願いをここに 納めおく 水は苔より 出る谷汲 (過去)」
         御詠歌 : 「今までは 親と頼みし 笈摺を 脱ぎ納むる 美濃の谷汲 (未来)」




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カラー御影    納経帳 (本堂 「観音堂」)   
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納経帳 (満願堂は過去、笈摺堂は未来なので日付が入らない)
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「仁王門」 運慶作の仁王像 門前まで土産物屋が並ぶ
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現存の 「本堂」 は明治12年(1879年)に再建された。  
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本堂に祀られている 「本尊、十一面観世音菩薩」 は秘仏
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本堂入口の左右二本の柱には 「精進落としの鯉」
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「笈摺堂」 は、巡礼中に使用した笈摺や笠などを奉納する堂
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「満願堂」 丸い石灯籠やタヌキさんが満願を実感させてくれる。
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■ 略縁起・歴史・由来

 奥州会津の出身の大領はつねづねより十一面観世音の尊像を建立したいと強く願っており、奥州の文殊堂に参篭して一心に有縁の霊木が得られるようにと誓願を立て
 七日間の苦行の末、満願(七日目)の明け方に十四,五の童子(文殊大士と呼ばれる)の御告げにより霊木を手に入れる事が出来ました。霊木を手に入れた大領は都に上り、やっとの思いで尊像を完成させました。

 そして京の都から観音像を奥州へ運んでいこうとすると、観音像は近くにあった藤蔓を切って御杖にして、御笠を被り、わらじを履いて自ら歩き出しました。
 途中、美濃国赤坂(現:岐阜県大垣市赤坂)にさしかかった時、観音像は立ち止まり、「遠く奥州の地には行かない。我、これより北五里の山中に結縁の地があり、其処にて衆生を済度せん」と述べられ、奥州とは異なる北に向かって歩き出しました。
 そうしてしばらくした後、谷汲の地に辿り着いた時、観音像は歩みを止め、突然重くなって一歩も動かなくなったので、大領はこの地こそが結縁の地だろうと思い、この山中に柴の庵を結び
 三衣一鉢、誠に持戒堅固な豊然上人という聖(ひじり)が住んでいたので、大領は上人と力を合わせて山谷を開き、堂宇を建てて尊像を安置し奉りました。

 すると堂近くの岩穴より油が滾々と湧き出し尽きることが無いので、それより後は燈明に困ることが無かったといいます。
 この話を聞こし召された醍醐天皇(885-930)は谷から湧き出る油を灯明に用いた事にちなんで「谷汲山」の山号、そして「華厳寺」の扁額を下賜せられました。この寺号は御尊像に華厳経が書写されている事にちなむとされています。

 西国巡礼中興の祖とされる花山法皇(968-1008)は西国三十三箇所の霊場を御徒歩で御巡幸あらせられ、当山を第三十三番札所の満願所と定められ、御禅衣(笈摺)、御杖、及び三首の御詠歌を奉納せられました。
 また、およそ百八十余年を経て後白河法皇(1127-1192)は、先帝花山法皇の御跡を慕われて同行千有余人を従えて御巡幸あらせられました。

 一時期は衰退を迎えるも、人皇百五代・後土御門天皇(1442-1500)の御宇、文明十一年薩摩国鹿児島の慈眼寺住職道破拾穀(どうはじっこく)上人が或る夜夢に当山の観世音菩薩が現れ
 「汝は有縁の僧なれば早く来て諸堂を旧観に復せよ」との御聖勅によって、海山を越えて遥々尋ね来て、本堂及び諸堂を再興して尊像の御心を安め奉ったのです。

 このように当山は古来より観音信仰の霊験厚く、また天皇、法皇を始めとする皇室、朝廷、有力豪族や民衆からの帰依厚く、益々の隆盛を極めました。

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■ 境内模様・見所

 宝印とはいわゆる御朱印のことで、仏を示す梵字に蓮花台や火焔光背を添え、その上に「大悲殿」と墨書し、右肩には「奉拝」、左下には山号または寺号書き添える。(「大悲殿」は観音霊場の一般例)
 朱印とはもともと寺院に教典を書写して納めた時に戴く受領書のようなものであった。よって朱印帳を「納経帳」といい、御朱印を受けるところを「納経所」と呼ぶ。
 当山では西国三十三番の結願札所として花山法皇が詠まれた御製三首の御詠歌にちなんで三つ御朱印を行っております。また三つの御朱印とは本堂(観音堂)・満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味するとされています。

 ●「精進落としの鯉」
  本堂の入口にあたる左右二本の柱には、青銅製の鯉が付けられている。かつての巡礼者達は華厳寺で満願の参拝を済ませ、この鯉に触れることにより精進生活からすっかり開放された気持ちになったらしい。
 ●「笈摺(おいずる)堂」
  本来、西国三十三ヶ所巡礼の満願をむかえた人が巡礼中に使用した笈摺(巡礼者が着物の上に着る袖無し羽織に似たうすい衣)や笠などを奉納する堂であるが、千羽鶴や絵馬、巡礼者の名前と写真を入れた額なども奉納されている。


境内   



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