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      西国第三番札所 風猛山 粉河寺 (ふうもうざん こかわでら)

         本  尊 : 千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんzをんぼさつ)          真  言 : おん ばざら だるま きりく
         秘  仏 : 絶対秘仏
         開  基 : 大伴孔子古(おおとものくじこ)          開  創 : 770年(宝亀元年)
         宗  派 : 粉河観音宗
         御詠歌 : 「父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ たのもしの身や」




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納経帳   カラー御影
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大門 (三間楼門、重要文化財)
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手水舎 と 中門 (四天王が安置、重要文化財)
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本堂 (西国三十三所最大) と 名勝の粉河寺庭園 
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盥漱盤 (かんそうばん)
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自由につける鐘楼
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童男大士堂 (12月18日の童男会に童男大士像公開)
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出現池 (童男大士は白馬に乗って現れた)
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■ 略縁起・歴史・由来

 奈良時代末、宝亀元年(770)、猟師の大伴孔子古(おおとものくじこ)が山中で霊光を発する場所を発見。この地が霊地に違いないと考え、ここに小堂を建立したと伝えられている。
 この小堂に行者の童男大士(どうなんだいし)「子供の姿をした僧」が訪れ、七日間、堂に籠もって仏像を刻み、これを本尊にするようにと孔子古に与えた。童男大士が去ると、その仏像は金色に輝く観世音菩薩になったという。
 孔子古は童男大士こそ観音さまの化身と考え、以後、殺生をやめ供養礼拝したといわれ、これが粉河寺の創始と伝えられている。
 この縁起は国宝に指定されている「粉河寺縁起」という紙本著色絵巻に描かれているが、原本は京都国立博物館に寄託されているようであり、粉河寺にはその複製品が保存されている。

 鎌倉時代には七堂伽藍が整い隆盛をきわめたが、天正13年(1585)、開創以来もっとも受難の年を迎えた。
 豊臣秀吉は、天下統一の望みを達成するため、紀州攻めを敢行し、当寺より約10粁西にある新義真言宗の総本山 根来寺を中心に一帯は火の海と化し、粉河寺も全山焼失した。
 現在の諸堂は大小20有余数えられるが、何れも江戸時代の再建である。
 就中江戸中期の代表的な寺院建築物であり、西国三十三所の中では最も大きい本堂を初め、千手堂・大門・中門の4棟は重要文化財に指定されている。

 草創のゆかりとなっている粉河寺縁起絵巻(国宝)を有する粉河寺は、壮大な寺観がもたらす歴史の重味と共に、観音信仰の寺として、いつまでも参詣の人々に安らぎを与え続けることであろう。
 粉河寺縁起に、人間の姿をした童男大士が描かれているのは、一般民衆にも観音信仰が広がった証。
 それはあたかも自らの子に無上の愛を注ぐかのように、世の人々の暮らしは変われども、観音さまの御心は父母の愛のように変わり無きものなのです。

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■ 境内模様・見所

 清少納言が「枕草子」に「寺は石山、粉河・・・」と書いたように、古くから名刹として知られています。
 参道(石畳道)の右手に流れる小川(粉河)が、寺号の由来。
 この川の水が粉を流したように白く見え、これこそが観音さまの化身が言い残した粉河に違いないと気付くという伝承が残されています。

 ●大門
   三間楼門で、その規模は和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさといわれている。宝永4年(1706年)の建立とされており、総欅造りである。(重要文化財)
 ●中門
   山門額「風猛山」は紀州10代藩士 徳川治宝(治寶 はるとみ)の直筆。江戸時代末期の建築ですが、総檜造りで細かい装飾も美しく、四方に四天王像が祀られている。
 ●鐘楼
   粉河寺の鐘は誰でも自由につけます。作法にのっとり、一つつき本堂に向かいます。
 ●本堂
   側面からみると、複雑な構造がよくわかる。一重屋根の大堂と二重屋根の小堂が融合した独特の様式で建築学的にも貴重とされている。
   軒下から除く龍は、火事除け、雷除けを意味します。
   屋根を複雑に組み合わせた八棟造り(権現造り)といわれている様式であり、間口33メートル、奥行25メートル、高さ33メートル入母屋造り、2棟が重なり合った総欅造りです。
   享保5年(1720年)に再建されたものといわれ、江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物とされている。(重要文化財)

   内陣の中央奥に、御本尊の御前立を納める厨子があります。御本尊は絶対秘仏で、今まで公開されたことはありません。
   左右には千手観音を信仰する人々を守るとされる「二十八部衆」が厨子を守ります。
   その多くは古代インドに起源をもつ神々ですが千手観音に従って仏教の守り神になった。風神と雷神を合わせた30体が並ぶ様は圧倒的です。
   内陣左側に祀られている「鬼子母神像」も必見。仏さまに導かれ改心した後になんとも穏やかな表情に見惚れます。
   八代将軍 徳川吉宗公が寄進した 左甚五郎作の「野荒らしの虎」 は、夜な夜な本堂を抜け出し田畑を荒らすので目に釘が打たれたという伝承があります。
 ●千手堂
   紀州徳川家のご位牌堂として建てられたもので、格天井には、日輪、月輪、開き傘や打ち出の小槌などの天井画が195枚描かれています。
   千手千眼観世音菩薩が祀られ、着衣には截金文様が施され絢爛豪華です。こちらも秘仏ですが草創1300年で公開されました。
   千手堂特別拝観は数年に一度の貴重な機会。観音さまにお出会いすることが出来たそのひとときに感謝する心こそが巡礼という祈りの形なのかもしれません。
 ●粉河寺庭園
   寺の一番の見所で、約400年前の桃山時代に出来た庭園。上田宗箇の作庭と云われ、国の名勝に指定されている。
   本堂の前の14段の石段、紀州の青石、蘇鉄、皐月(さつき)、滝や石橋で枯山水庭園とした。庭園と本堂が一体となった勇壮な景色を作っている。
 ●大クスノキ
   本堂の南側にあり、粉河寺縁起に登場する漁師がこの樹で獲物を待ったという伝承が残されている。(自然保存木に指定)
 ●童男大士堂
   堂内に祀られている童男大士像も秘仏であるため常には拝見することは出来ません。
 ●出現池
  童男大士は柳の枝を手に持ち、白馬に乗ってこの池より現れたと伝えられている。奥には童男大士の石像が祀られている。
  病気平癒の霊験のあらたかな仏として知られており、祈願し成就すれば、祈願した人はこの池に鯉を放す風習があるらしい。


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■ 交通
   JR和歌山線 粉河駅 北に600m 約10分
■ 特別拝観
   毎年12月18日 童男大士像御開帳

境内諸堂配置略図 



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