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      西国第四番札所 槙尾山 施福寺 (まきのおさん せふくじ)

         本  尊 : 十一面千手千眼観世音菩薩          真  言 : おん ばざら だるま きりく
         秘  仏 : 秘仏 5月1日〜15日御本尊開扉開帳法要
         開  基 : 行満上人(ぎょうまんしょうにん)          開  創 : 欽明天皇時代(539〜571)
         宗  派 : 天台宗      本尊:弥勒菩薩
         御詠歌 : 「深山路(みやまじ)や檜原(ひばら)の松原分けゆけば巻の尾(まきのを)寺に駒(こま)ぞいさめる」




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納経帳   カラー御影
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バス停から山門まで10分ほどは舗装道
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手づくりお願いわらじ守 が掛けられている仁王門
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施福寺本堂  
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境内入り口右 手水舎
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西国三十三ヶ所観音堂
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愛染堂の中には愛染明王、勤操僧正、弘法大師の像が安置
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弘法大師御髪堂 剃髪した髪が納められている
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■ 略縁起・歴史・由来

  施福寺は欽明天皇の時代に、天皇の病気治癒の勅願により播磨の国の行満上人によって開かれ、弥勒菩薩を安置したのが草創とされている。かつては真言宗の寺として栄えました 。
  行基もここで修行したと伝えられ、また、春日山岩淵寺の勤操(ごうぞう)大徳僧都のはからいで、空海が訪れ寺で修行し、剃髪し得度したという愛染堂や、虚空蔵求聞持法を修した虚空堂(女人禁制)、大師堂などがあります。
  大同2年(807年)唐より帰朝後、 再び訪れ、入京が許されるまで約2年間、寺に籠もり真言宗を開くための思索を行った寺ともいわれています。
  空海が青年期自らの思想を形成する為にもっとも縁の深かった寺であり弘法大師信仰の中心となる寺の一つです。
  本尊は当初、弥勒菩薩でありましたのが、後に、行基菩薩の弟子である法海(中興の祖)が観世音菩薩を刻んで本尊としました。

  徳道上人によって創始された西国観音霊場を再興した花山法皇が、粉河寺からこの施福寺に向かっていたとき、日が暮れ道に迷って困っていると、 馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があります。
  観音馬像が境内にあり、本堂裏の後堂にはすばらしい馬頭観音が祀られています。
  役の行者小角が法華経の巻物を各地に納め(経塚)、最後に納経した地であることから『巻の尾』といわれるようになったといいます。 全国の札所巡礼の最後に写経を納めると良い納経の寺といいます。

  施福寺は、古代大和王権の「航海の安全を祈願する道場」として発展した特別の場所でした。
  施福寺参道のそばを流れる槇尾川、槇尾川下流の大津川、その河口の右岸に港があり、大阪湾から明石の海峡を越えて加古川まで行かれて、朝鮮半島などの大陸に向かう重要な航海の出発点であった。
    その大津の港を守る神さんを祀っている山でした。「昔は茅渟の海(ちぬのうみ)」 「茅渟の山寺」

  バス停の前に「満願行の滝」があり、ここで修行をしたという弘法大師空海や役の行者神変大菩薩が祀られています。

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■ 境内模様・見所

  バス停から約30分の山道。八丁石柱(一丁は約110m)から始まります。参道の両脇にある石積みは、かつての塔頭寺院の跡で最盛期には970もの建物があった。
  山の谷間から見れる大阪湾の眺望。境内の展望所からは葛城山、金剛山などの山並みを望むことができ素晴らしい景色です。

 ●山門
   向かって右側に「吽形像」、左側に「阿形像」という珍しい配置です。ここから本格的な山道です。
 ●愛染堂
   延暦12年 793年には、二十歳の弘法大師空海が この寺に住む奈良大安寺の高僧 勤操(ごうぞう)を慕って訪れ、この寺で修行し、剃髪し得度したという。
 ●弘法大師御髪堂
   弘法大師空海の剃髪した髪が納められているという御堂。

 ■施福寺本尊 弥勒菩薩
   「おんまえたれいやそわか」 仏教伝来初期に開かれたお寺には弥勒菩薩さまが多い。
 ■札所本尊 十一面千手千限観世音菩薩
   御本尊に向かって左側におられる観音さまが、西国三十三所の札所本尊となります。
   遥か遠くをご覧になられているようにも、すぐ近くを見つめられているようにも思える優し気な眼差し。
   そのお姿を前にすれば、誰でも両手を合わせることでしょう。観音さまと同じように両手を合わせ静かに佇むうちに自らの心の中が見えてきます。
 ■文殊菩薩
   「おんはらあしゃのう」 御本尊に向かって右側におられる菩薩さまが、知恵をつかさどる文殊菩薩さまです。

 ●本堂内陣
   三体共全てが菩薩さま。つまり仏になるべく修行中の御身をかたどっています。
   三尊のまわりには、修行を妨げる悪鬼を払う四天王。仏像にはそれぞれ意味があり、それを知ることで観音さまは、なぜ私達を救おうとされるのかも徐々にわかってまいります。
   悟りを開いたもの、すなわち仏さまが感じておられる世界を表すものを曼荼羅と呼びますが、施福寺の本堂は正に立体的な曼荼羅と言えるでしょう。
 ■如来とは ・・・
   もともと仏教には「偶像崇拝」の考えはなく、お釈迦さまが亡くなられた後も、その遺骨(舎利)を分け、塔をたてて保存することになりました。
   しかし、仏教が広まるにつれ目に見えない「慈悲」・「智恵」を具体的な形に表し、私たちを教え導く、苦しみから救ってくださる大きな力の存在を実感するよりどころが求められるようになりました。
   人間の限界をはるかに超越した、私たちには手の届かない「彼岸」に達した完璧な存在、それが如来(具体的な形)なのです。
   仏像彫刻は、お釈迦さまのお姿を表した釈迦如来像に始まり、如来の存在によって世界は明るく輝くと考えられ、如来像は全身が金色に輝いています。

 ■方違大観音
   悪い方角を良い方角に変え、全ての人を仏の乗り物に乗せて良い方向に運んでくださるという、日本で唯一の観音さまです。
   大きな冠と胸元の飾りが美しく、とても大きな観音さまなのに威圧感も全く無く、むしろ愛らしさを感じてしまいます。
 ■花山法皇 足守の馬頭観音
   憤怒の形相で迫力に満ちた足守馬頭観音も見逃がせません。両足の裏をこちらに向けておられるお姿は、馬頭観音としては日本で唯一です。
 ■眷属二十八部衆 (けんぞくにじゅうはちぶしゅう)
   いわれの深い仏像が並ぶ本堂。その由緒をひとつひとつ確かめる内に、このお寺がいかに多くの信仰を集めてきたのかがわかります。
 ●境内の馬の銅像
   海運会社が寄贈。西国三十三所巡礼 中興の祖とされる花山法皇にまつわる伝承に由来します。


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 ■ 交通
    泉北高速鉄道 和泉中央駅より 南海バスで「槇尾中学校前」へ
    大阪府和泉市が運行するオレンジバスで槇尾山ルートの最終 槇尾山バス停まで。10分ですが便数に注意。
    バス停から本堂までは、徒歩で約30分。

 ■ 花の見頃
    4月:紅しだれ・山桜  5月:しゃが  7月:うばゆり  11月:紅葉

 ■ 弥勒菩薩座像 御開扉
    毎年5月1日から15日


境内諸堂配置略図



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