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      西国第五番札所 紫雲山 葛井寺 (しうんざん ふじいでら)

         本  尊 : 十一面千手千眼観世音菩薩          真  言 : おん ばざら たらま きりく
         秘  仏 : 毎月18日にご本尊ご開帳
         開  基 : 行基菩薩          開  創 : 725(神亀2)年
         宗  派 : 真言宗御室派
         御詠歌 : 「参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲」





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納経帳   カラー御影
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四脚門 (寺で現存する最古の建物 重要文化財)
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本堂 (30年余りの時日をかけ1776年に再建、国の重要文化財)
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弘法大師堂           
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手水舎 安本の井戸 「弘法大師手掘り井戸」
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梵鐘堂 住宅街の真ん中なので鐘はつけません。
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南大門 (国の重要文化財)
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旗掛けの松 (三鈷の松)三葉の松葉
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■ 略縁起・歴史・由来

 河内の文化は、飛鳥時代より奈良時代にかけて発展し、当寺葛井寺も百済(くだら)王族「辰孫王」の子孫王氏一族の『葛井給子』が当時の天皇の仏教興降政策に協力し、国家のためと称して創建された。
 永正七年(1510)の勧進帳「葛井寺参詣曼陀羅図」によると、『聖武天皇』の勅願による 2km四方の七堂伽藍の建立。(当寺所蔵の伽藍絵図によると、金堂・講堂・東西両塔をそなえた薬師寺式の伽藍配置を整えていた。)
 古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺ともいう)の勅号をいただき、その落慶法要には、天皇自ら行幸されたという。
 その聖武天皇が春日仏師(稽文会(けいもんえ)・稽首勲(けいしゅくん)親子)に命じて「十一面千手千眼観世音菩薩」を成させ、
 神亀二年(725)、3月18日入仏開眼供養(かいげんくよう)のため藤原朝臣房前卿を勅使に、行基菩薩を御導師として勤められた。
 古代日本の中央豪族である和珥一族 (和邇・丸邇・丸とも書く)から 白猪史(しらいのふひと)になり、さらに葛井と性を改められて、受け継がれてきた。

 御本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は、千手にて迷える衆生を救うための大慈悲を示し、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名である。

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■ 境内模様・見所
  大阪府の東南部に広がる河内平野は、古く飛鳥時代百済からの渡来人によって開かれた土地です。周りを住宅と商店に囲まれた広い境内は南と東西の三方に門がある。

 ●御本尊 国宝 十一面千手千眼観世音菩薩坐像(日本一の手と目を持つ日本最古の国宝の千手観音) 
  天平仏像脱活乾漆造。乾漆像の中でも保存状態は良好。高さ1.4m 大の手2本、中の手40本、小の手1001本、実際に1043本の手を持ち、その手のひらに目があります。
  少し前かがみに見えるそのお姿は、人々の願いを一言も聞き逃すまいと身を乗り出すかのようです。厳しくもお優しい顔も相成り拝見するだけで心が休まります。
  また頭の上には化物と呼ばれる11面のお顔をいただきます。あるお顔は怒りを現し、また別のお顔は悪事をたくらむ矮小な心を笑い飛ばしておられます。
  強さと柔らかさ、厳しさと優しさなど、本来なら相いれないイメージを併せ持ち、しかも調和がとれている。まさに観音さまの御心を現す美しい御本尊です。
  「葛藤」
  我々には、様々な迷いや苦しみがあります。その迷いは怒涛の如く押し寄せてきます。 お寺の名前、葛井寺の「葛」、地名の「藤」、合わせると「葛藤」という文字になります。
  まさしく、このお寺の名前は、人生の迷いを解き説明しています。よって観音さまに迷いをぶつければ、自然にお教えをいただけるものだと信じています。
 ●西門 「四脚門」 (国指定重要文化財)
  慶長6年(1601年) 豊臣秀頼が寄進したもので、桃山時代の様式をよく伝える建造物として、また葛井寺で現存する最古の建物として国指定重要文化財に指定されています。
  以前は南大門として建てられましたが、現在は西門に移建されました。シンプルながらも力強い印象です。
 ●紫雲石灯籠 (大阪府指定美術品)
  聖武天皇のご寄付。紫雲石の灯籠はいたみが激しく、本物は裏庭にて管理しておりますが、現在境内にあるのは、欠損箇所まで同じように仕上げた明治時代のレプリカです。
  かつて花山法皇が本尊を参拝したとき本尊の眉間から光が射し、この灯籠から紫雲がたなびいたと伝えられている。
 ●護摩堂
  境内本堂西側にあるのが護摩堂で入り母屋づくり本瓦葺きの建物に、不動明王を安置している。
 ●井戸の手水舎
  寺を復興した藤井康元。実は暴れ者で嫌われていたがとうとう力尽きた時に、千手観音さまは井戸の水を飲ませ生き返らせ、寺の復興に尽力させた。
  そんな康元のような、あかんやつでも救ってもらえるということから「あかん河内の葛井寺」といわれるようになったとか。
 ●旗掛けの松(三鈷の松)
  この松の木は南北朝の動乱期、楠正成が本尊に戦勝祈願をしたとき、菊水の旗を掛けた木とされている。楠正成が戦勝祈願をしたとき、三人の息子(正行、正時、正儀)に
  この松葉(三葉になっている、後述)のように三人が力を合わせ一つになって武士道に励むよう誓わせたという。
  以来、この松葉を持つと力が付くという言い伝えがあり、珍重されているようで、三葉の松葉の落ち葉を探している参拝者をみかける。
 ●藤棚
  毎年4月の終わり頃になると、境内は藤の甘い香りに包まれます。薄紫の花が房になり藤棚を彩る様は、花山法王が体験したという紫色の雲がたなびく様子を表すかのようです。
  人は誰しも、美しいもの秀でたものをいとおしく思い、それを大切にしたいと思います。その心に素直に従えば、自ずと合掌し感謝の言葉があふれ出てくることでしょう。
  それが、観音さまをお慕いするこころそのものです。
 ●阿弥陀二十五菩薩堂
  ここでは往生者を極楽浄土に迎える来迎図を立体的に見ることが出来ます。
  阿弥陀如来を中心に25の仏がとりまくオーケストラの楽団です。25の仏はそれぞれ色々な楽器を奏でながら人々を極楽浄土へと案内してくれます。
  

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 ■ 交通
    近鉄南大阪線 藤井寺駅 (天王寺、大阪阿部野橋より準急で2駅 13分)

 ■特別拝観
    4月18日 春季大法会式 (14時から万霊供養法要・大護摩祈祷・夕方には餅まき)
    8月 9日 千日まいり
   12月18日 長寿大根炊き

 ■毎月18日の観音会は、露店の立つ賑わいがあり、庶民に愛される開かれたお寺として地元の暮らしに密着している。

境内  



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