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      西国第九番札所 興福寺 南円堂 (こうふくじ なんえんどう)


         本  尊 : 不空羂索観世音菩薩(ふくうけんざくかんぜおんぼさつ)
         真  言 : おん はんどま だら あぼきゃ じゃやでい そろ そろ そわか
         秘  仏 : 毎年10月17日に特別開扉
         開  基 : 藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)          開  創 : 813(弘仁4)年
         宗  派 : 法相宗
         御詠歌 : 「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」




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納経帳   カラー御影
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三条通 猿沢池から階段で境内へ
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「南円堂」は興福寺の一堂で、日本で最も大きい八角円堂である。
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興福寺 東金堂と五重塔(東寺に次ぐ規模で約50m高)                 
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三条通から階段で境内へ上がると 手水舎と梵鐘がある。
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不空羂索観世音菩薩は羂(獣を捕らえる網)や索(魚を釣る糸)をもって
一切の衆生を救い、すべての願いを叶えてくれるという。

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奈良公園にはかかせない鹿くん達
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猿沢池の畔から興福寺の「五重塔」や「南円堂」を望むことができる。
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■ 略縁起・歴史・由来

 興福寺は、もともと山階寺(やましなでら)といい、藤原鎌足の妻・鏡女王(かがみのおおきみ)により、京都・山城に建てられました。(669年)
 平城遷都にともない、鎌足の息子・藤原不比等によって現在の地に移築され、名を興福寺と改めた。(710年)
 その後、興福寺は次々と伽藍が揃い、元明天皇・元正天皇が北円堂、聖武天皇が東金堂、光明皇后(不比等の娘・光明子)が五重塔と西金堂を建立していきます。

 奈良時代の渡来人仏師・将軍万福を呼び、多くの仏像を造りました。鎌倉時代の頂点を極めた慶派仏師も数多くの仏像を彫り、興福寺の復興に貢献した。
 平安時代には、藤原氏の氏神・春日大社と共に空前の繁栄を誇り、170もの堂塔を持つ壮大な大伽藍だったといいます。南都七大寺として多くの優秀な僧たちが生まれました。

 「南円堂」は、弘仁4年(813年)に興福寺の一堂として、藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父、内麻呂(うちまろ)の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれている。
 堂を建てるに際し、白銀の観音像千体を埋めて地鎮としたと伝えられている。和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。
 また、基壇築造の際には地神を鎮めるために、弘法大師が係わったことが諸書に記されている。
 平重衡による兵火では南円堂の本尊も焼失したが、寛政9年(1797年)に再建されたといわれており、これが現存の南円堂であるとされている。
 不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。
 その不空羂索観音菩薩像の左手の、羂索(狩りに使う投げ縄)は、あらゆる願いを残らず救い取り必ずや成就させるという御心を表します。
 身にまとわれておられる鹿皮の衣は、修行者を表すもので、悟りを開かれる前のお釈迦様もまとわれたとされます。
 鎌倉時代を代表する仏師、運慶の父、康慶が出したもので、後に開花する鎌倉彫刻との関連も興味深い。
 藤原冬嗣が亡き父のために建立してから300年を経て、康慶が運慶にアイデアを授ける。このお堂にはそんな親子の絆が刻まれています。

 武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿に乗ってこの地、大和国の惣社的な神様としてお移りになった。
 日本に仏教が定着するなかで、神仏習合が高まっていった。
 興福寺は、春日社をお守りする。お世話をする。そういう立場を目指した。そんな一体感から大和国の安定と平安を願った。

 巡礼とは、
 巡礼するお姿は、自分の苦しみとか悲しみとか、勇気が無くなった時に、自分自身を見つめなおし、よりリフレッシュして社会に戻って行くなどのきっかけがある。それは自分の為で、仏教では、「自利」という。
 その歩くお姿は、他人にとって非常に尊いものと受けとられる。いつか自分も、神聖な気持ちでやってみたいと思う。それを仏教では、「他利」という。、
 自分の為にも、他人の為にもなるもの。そして一歩一歩、仏様に近づいていく、これが本当の自利であって、これが本当の信仰の在り方です。

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■ 境内模様・見所

 奈良には、「南都八景」という名所があり、
 「猿沢池月」 猿沢の池から見える興福寺の境内とその上に見える月
 「南円堂藤」 毎年、4月の終わりから5月にかけて咲く。

 猿沢の池から境内まで52段の階段がある。それは、悟りを開くには52の修行が必要であることを表す。
 五重塔は、各層のバランスが絶妙で、見る角度により、柔らかくも力強くも感じられる名建築です。
 北円堂は、南円堂より小さいが興福寺の境内では最古の建物です。
 

境内   



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