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      西国第十番札所 明星山 三室戸寺 (みょうじょうざん みむろとじ)


         本  尊 : 千手観世音菩薩          真  言 : おん ばざら たらま きりく
         秘  仏 : 33年ごとの開扉
         開  基 : 行表和尚          開  創 : 770(宝亀元)年
         宗  派 : 天台宗 本山修験宗
         御詠歌 : 「夜もすがら 月を三室戸 わけゆけば 宇治の川瀬に 立つは白波」




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納経帳   カラー御影
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受付を通り、約100m進むと 「山門」 がある。
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「本堂」は重層入母屋作りの重厚な建物 (重要文化財)
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本尊は、光仁天皇の霊感で志津川で発見された金銅仏。         
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「霊泉 不動水」 不動明王さまが前に立たれている。
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「阿弥陀堂」 の東側に 「鐘楼」 が建てられている。
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「三重塔」 は兵庫県の高蔵寺から移築された。
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「与楽苑」 よらくえんは、6月の中旬に1万株のアジサイが咲く
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■ 略縁起・歴史・由来

 光仁天皇が行幸した際、霊感を感じたので藤原犬養に命じ周辺を探させたところ、宇治川の支流である志津川上流の岩淵で黄金の仏像を発見したと伝えられている。
 この仏像を安置するため、宝亀元年(770年)に御室の一部を移し、奈良大安寺の行表法師を招き、御室戸寺としたのが寺の起源とされているが、智証大師円珍の開山という説もあるという。
 この寺が光仁・花山・白河三天皇の離宮にもなったので三室戸寺と改称されることになったと伝えられています。

 創建時は仏像が発見された場所の近くの山中に寺があったとされているが、織田信長の焼き討ちなど度重なる火災に遭い、15世紀に現在の場所に移されたという。
 本堂横には明星山の木々に囲まれて阿弥陀堂や鐘楼そして三重塔が立ち並び、丘の上に開けた「仏教公園」とでも言える風情です。本山修験宗の別格本山。

 ご本尊は、身の丈30cmの金銅仏で秘仏とされる。大きさ以外は、忠実に摸刻された御前立を拝見できる。
 上向きに開いた宝冠、細身の身体に沿って流れるような衣は、まさに飛鳥古物の趣き。尊名は千手観音ですが、尊姿は二臂。
 どことなく西洋の法衣をまとわれているようにも見えます。現代のデザインに通じるモダンさと御仏ならではの奥深き心が伝わってくるかのような素敵な観音様です。


 源氏物語に出てくる薫大将や浮船、八の宮は三室戸寺を信仰していた。
 「来世に極楽浄土に行きたい」 「現世には いろいろな願いを通じて欲しい」 という希望から
 仏さまはいつも見てくださっているが、やはり自分が信仰している仏さまを手元に置きたいということから
 自分の信仰している観音様や阿弥陀様を手元にお祀りした。 それが念持仏です。


 三室戸寺では毎年夏には、『 はす酒 』を再現するイベントを行ないます。それは三国時代の中国では魏の国王が客人を招待した際に、はすの葉に酒を注ぎ、風流にもてなすといわれます。
 この中国古来のそれにならって、はすの葉にひしゃくで酒を注ぎ、茎の中の管を通って滴り落ちてたところを飲むというもので、ほろ苦い樹液と混ざり合った酒は薬効があるとされています。
 樹液には、カルシウムやビタミンが豊富に含まれていて、美容効果もあるようです。また、はすの実や葉などを入れて炊き込んだ「はす飯」も販売されるそうです。

 五千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(二万株)・六月のアジサイ(一万株)・七月のハス・秋の紅葉など四季を通じて美しい花模様を楽める。



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 本堂の傍らに阿弥陀堂が建っています。平安時代半ば、藤原氏の権勢が絶頂期を迎えた頃、この阿弥陀堂に三体の仏が納められました。 来迎弥陀三尊です。
 脇侍の 勢至菩薩と観世音菩薩は やまと座り の身を乗り出すお姿で、往生者をお迎えされています。
 この観音様は、後ろから拝むと足裏が見えることから 「足裏観音」 と呼び親しまれています。
 釈迦如来立像は、平安時代に流行した流れるような衣の描写が美しい様式で制作年代がハッキリしている貴重な仏像です。

 本堂前に上がる石段を上った場所、納経所の手前に芭蕉句碑(左の写真)が立てられている。この句碑には芭蕉の句『山吹や宇治の焙爐の匂ふとき』の文字が刻まれているようである。

 鐘楼の横に源氏物語ゆかりの古跡があります。 「浮舟之古跡」


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境内   



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