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      西国第八番札所 豊山 神楽院 長谷寺 (ぶざん かぐらいん はせでら)  通称 長谷観音 


         本  尊 : 十一面観世音菩薩          真  言 : おん まかきゃろにきゃ そわか
         秘  仏 : 自由拝観可能
         開  基 : 開基 徳道上人          開  創 : 創建 686(朱鳥元)年
         宗  派 : 真言宗豊山派
         御詠歌 : 「いくたびも 参る心は はつせ寺 山もちかいも 深き谷川」




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納経帳   カラー御影
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仁王門 の扁額の文字 「長谷寺」 は、後陽成天皇の筆による。
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399段の屋根付回廊形式の 「登廊」 (のぼりろう)
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下の楼と中の楼の曲がり角には 「天狗杉」 と 「手水舎」 がある。                
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「尾上の鐘」 毎日正午にはホラ貝と共に時を告げている。
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本堂 は正堂と礼堂(掛け作りの舞台がせり出す)複雑な構造
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本堂から木立の間に見える 「五重塔」 は、昭和29年 建立
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大和七福八宝の大黒天
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■ 略縁起・歴史・由来

 「本長谷寺」 朱鳥元年(686年)に興福寺の道明上人が天武天皇のために、三重塔を建立して、銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)を、西の岡に安置したのが長谷寺の創始とされている。
 「後長谷寺」 神亀4年(727年)に徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、近江の高島より流れ出た楠の霊木で十一面観音像を刻み東の岡に安置したといわれる。
 10世紀以降には長谷寺は観音信仰の霊場として貴族の間で地位を確立し、庶民の間にも広まった。12世紀に園城寺の修験僧によって始められた西国巡礼で長谷寺は当初から霊場に加えられていた。

 長谷の里は泊瀬、初瀬とも書かれたので、長谷寺は泊瀬寺あるいは初瀬寺とも言われた。三方を山で囲まれ、寺も山と一体になる。万葉集・枕草子・源氏物語などに登場する大きなお寺です。
 門前町は初瀬(はせ)川沿いに長く延びている。そこは伊勢参りでも賑わった旧伊勢本街道。歴史も活気もある門前町である。とくに草餅の店が多い。こんな門前町の一角に番外札所の法起院がある。

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■ 境内模様・見所

 本堂は、徳川家光翁が1650年に寄進。 江戸時代前期の建築物では最も完成度が高く国宝とされています。
 正堂(内陣)は間口九間、奥行き五間。その前に礼堂を設け、表は広々とした舞台造り。木造建築物としては東大寺大仏殿、吉野山蔵王堂に次ぐ規模です。

 堂内に安置されている御本尊十一面観音像も木造では国内最大級。金色の姿を仰いで圧倒される。天文7(1538)年の作といわれ、国の重要文化財です。
 右手には、地蔵菩薩と同じ 錫杖 (しゃくじょう) と 数珠 (じゅず)、左手には、蓮華の花が入った 華瓶 (けびょう) は慈悲の心を表します。

 御本尊の右脇侍、 雨宝童子 (うほうどうじ) は、天照大神が化粧をされた時の御姿
 今は、伊勢神宮にお祀りされていますが、以前はここにお祀りされていたとされます。長谷寺は日本神話の聖地でもあります。

 境内は広く、地形は変化に富み、多くの堂舎があります。長谷寺といえばボタン(150種約7000株)ですが、桜、シャクナゲ、アジサイも多い花の寺です。

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■ 西国三十三所観音巡礼の始まり

 徳道上人は62歳で亡くなったがまた蘇生した。
 その時に、閻魔大王様が、 「自分の今までの罪を無くすには、三十三観音を回りなさい。」 と告げられた。
 巡礼の原点は、徳道上人が仰った 「自分自身の見直し、自分の生き方を探す旅」 です。


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『わらしべ長者』 の昔話です。

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