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      西国第十二番札所 岩間山 正法寺 (いわまさん しょうほうじ) 通称 岩間寺


         本  尊 : 千手観世音菩薩          真  言 : おん ばざら たらま きりく
         秘  仏 : 直接拝観は不可
         開  基 : 泰澄大師(たいじょうだいし)          開  創 : 722(養老6)年
         宗  派 : 真言宗醍醐派
         御詠歌 : 「みなかみは いづくなるらん いわまでら きしうつなみは まつかぜのおと」




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納経帳   カラー御影       
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バス停降りて参道右手 鐘楼の前には 「聖観音像と仏足石」       
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灯籠の並んだ参道途中  仁王さまが出迎えてくれる。
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境内 火伏の銀杏を中心に本堂やお堂が取り囲む。                         
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「本堂」 は1577年に再建されたもので、江戸中期解体修理された。                     
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開山 宗祖 「泰澄大師堂」 (たいちょうだいしどう)
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「不動堂」 木造不動明王と二童子立像は重要文化財   
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「芭蕉の池」 松尾芭蕉はこの寺の観音を信仰し、供養塔を建立した。
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■ 略縁起・歴史・由来

 奈良時代に、元正天皇 げんしょうてんのう(女帝) の33歳の大厄の病気を 泰澄大師 (たいちょうだいし) が 法力で平癒させた。
 その褒美として、養老6年(722年)に勅命により建立されたのがこの寺の創始と伝えられる。

 泰澄大師が 桂 (かつら) の大樹の下で仮寝していると、幹の中からお経を唱える声がする。 翌朝この木を伐って等身大の千手観音を刻み(吉祥天と婆蘇仙人の三尊)、お堂を建てたのが始まりという。
 泰澄大師は、千手陀羅尼 せんじゅだらに を感得し、自らの千手観音像の中に、元正天皇より賜った千手観音を胎内仏として込め、ご本尊としたといわれている。

 元正天皇の御念持仏は、御丈四寸八分(約十五cm)の三国伝来エンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)金銅仏千手観音立像で三重のお厨子に納められている。

 本尊は毎夜、厨子を抜け出し、苦しむ人々を救済するために駆けめぐり、汗びっしょりになって朝帰りするといわれており、「汗かき観音」の別名がある。
 泰澄大師が桂の木で刻んだという仏像は現存していないが、その桂の切り株から芽生えたという木が、本堂の前ににあり、「御霊木」として保存されている

 水不足になった時、泰澄大師が雨乞いの祈願を行なうと猛烈な落雷に見舞われた。雷が言うには『仏門に入りたくて自ら落ちてきたのです。』という。
 泰澄大師が悟したところ、雷は今までの行いを反省して、岩を爪で掘って湧き水を出してくれた。
 雷さんが爪で掘った 「雷神爪堀湧泉」 は"不老長寿の水"と呼ばれ、健康長寿ぼけ封じを願う参拝者も多く訪れ、"雷除け観音""厄除け観音""ぼけ封じ観音"と呼ばれている。
 毎年四月十七日には、雷除け法要(雷神祭)が奉修され、多くの参詣者で賑わう。

 泰澄大師は、別名"越の大徳""金鎮大師"ともいい、白鳳11年(682)6月11日、福井県に生まれている。
 幼少の頃より神童的で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからも荒行を積み、その名声は早くより中央にも知られていた。
 大宝2年(702)には鎮護国家法師に勅任され、養老6年に元正天皇の病気平癒祈願のため、奈良の都へ来た。同年、加賀白山を開く途上、霊地を求め弟子神部浄定と少沙弥(寝行者)を従えて岩間山を訪れた。

 奈良時代から平安時代にかけては、七堂伽藍がそびえ、後白河・後宇多・正親町天皇等歴代天皇の尊崇厚く、戦国時代には熊野・吉野と並び立つ日本三霊場のひとつとして隆盛していた。

 意外な言い伝えには、岩間寺の観音に祈って生まれたのが、あの法然上人といわれ、美作国の役人だったという法然上人の父親は、子授けを祈願して、はるばるこの地までやってこられたそうです。

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> ■ 境内模様・見所

 滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある標高445mの岩間山中腹に位置し、岩間山正法寺と称する。
 登山道(車道)からは、眺望もよく、「瀬田川」そして「琵琶湖」さらには湖をへだてて「比良、比叡」が一望できる。そして西に「上醍醐寺の伽藍」が望めます。
 毎月17日には石山駅から岩間寺まで快速直通バスの便がある(1日4便程度。多客時は増便あり)。


 ● 「お迎え樅」
     駐車場の横に大きなモミの木があり、参拝に来られた方をお出迎えします。
 ● 「ぼけ封じ観音」 
     ぼけ封じ近畿十楽観音霊場 第四番札所
 ● 「白姫龍神」の碑
     しらひめりゅうじんの碑いしぶみ。 この龍神さまは女性が拝むと美人になると言い伝えられています。
 ● 「火伏の銀杏」 
     ひぶせのいちょうは樹齢500年とされる霊木です。
 ● 「長寿桂」 ちょうじゅのかつら (宇治市銘木百選 指定)
     岩間寺の近くには、日本随一と呼ばれるほどに、桂の巨木が自生しており、その中に長寿の桂と呼ばれる御神木がある。

 ● 「わきいづる 岩間の水はいつまでも つきせぬ法の み仏の影」
     雷神爪堀湧泉と呼ばれる岩間の霊泉には元正天皇御製の歌が伝えられている。
 ● 「古池や蛙飛び込む水の音」
     観音霊験記によると、江戸時代の俳聖松尾芭蕉は、岩間寺に参籠してご本尊の霊験を得、その俳風を確立した。本堂横手には「蛙池」"芭蕉の池"が残っている。
 ● 「幻住庵」 げんじゅうあん
     全国を旅してまわり、風雅一筋に生きた松尾芭蕉。その松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の翌年、約四ヶ月間庵を結んだといわれる。
     位置的には石山寺の裏手。国道一号線からは東レ滋賀事業所から陸橋で名神を越えた国分二丁目にあり、味のある庵がひっそりと佇んでいます。紅葉の季節に一度は訪れておきたいところです。


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■ 「御前立 千手観世音菩薩」
    お顔を少し左に傾げられ、私たちの願いを優しく聞き入れておられるかの御姿。
    ご本尊は、身の丈15センチ程とされますが秘仏とされ、お参り出来るのは摸刻の御前立とされます。
    ご本尊は毎日。日が沈むと厨子を抜け出し、苦しむ人々をことごとく救済するために、136の地獄を駆け巡ると言われます。
    その為、夜明け前、厨子に戻られる時には汗びっしょり。その御姿から「汗かき観音さん」とも呼ばれています。「雷除け」「ぼけ封じ」「厄除け」と霊験あらたかな観音さまです。

■ 「抜苦与楽」 ばっくよらく
    苦を抜き楽を与える。 
    我々はいろんなことで思い悩むが、観音様にお参りすることで、悩みが消えて心が豊かになる。
    巡礼によって、苦しみが無くなり、豊かな心になる。

境内   



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