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      西国第十九番札所 霊ゆう山 行願寺 (れいゆうざん ぎょうがんじ)  別称 革堂(こうどう)


         本  尊 : 千手観世音菩薩          真  言 : おん ばざら だるま きりく そわか
         秘  仏 : 年に一回開扉
         開  基 : 行円上人          開  創 : 1004(寛弘元)年
         宗  派 : 天台宗(山門派)
         御詠歌 : 「はなをみて いまはのぞみも こうどうの にわのちぐさも さかりなるらん」




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納経帳   カラー御影
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「山門」  京都御苑の近くの寺町通りにある
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「本堂」  京都市の有形文化財に指定。立派な鬼瓦。
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「本堂」  安置されている本尊「千手観音像」は行円上人の作。                 
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「延命地蔵菩薩と天道大日如来のお堂」 と 「手水舎」
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「鐘楼」 京都市の有形文化財
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五輪塔の水輪がくり抜かれ、穴の中に「加茂大明神」が祀られている。
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「かよひじは、二条寺町、ゆうながめ」 井原西鶴の句
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■ 略縁起・歴史・由来

 開祖の行円上人は、さまざまに人を助け仏の道を説いてまわりました。密教行者のしるしである宝冠をかぶり、いつも革の衣をまとっていたので、いつしか「革聖(かわひじり)」と呼ばれ親しまれるようになりました。
 革堂行願寺は、行円上人が1004年に、「一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)」を復興して「行願寺(ぎょうがんじ)」と名づけたことにはじまります。いっさいの人々の成仏を「願い、行(ぎょう)じる」思いが込められています。

 西国観音霊場唯一の尼寺。  山号は霊ゆう山(「ゆう」の漢字は「鹿」の下に「匕」)。

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■ 境内模様・見所

 この界隈は、昔豊臣秀吉によって寺院が集められたところから、寺町通りと呼ばれるようになりました。現在も、お寺や老舗が建ち並び、歴史を感じさせるたたずまいとなっています。

 「開祖行円上人の鹿にまつわる話」
 上人が射止めた母鹿が身ごもっており、小鹿を産み落として死んでしまう。上人は殺生の罪を悔いて仏門に入り、母鹿の革を肌身から離さなかった。このいわれの革衣は、宝物としてまつられている。
 そして行円の手彫りの千手観音像を祀ったこの寺も、いつしか 「 革堂 」という名がついたそうです。

 「子供を背負った若い女性が浮かび出る幽霊絵馬」 毎年8月20日過ぎに公開される。
 寺近くで働いていたお文という娘が、店の主人に嫌われて殺され、お文は幽霊になって現れ両親に訴えた。娘を哀れんだ両親は、幽霊の絵にお文が愛用していた手鏡をはめこみ、この寺に奉納した。 額になってそれも残っている。


境内



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