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      西国第二十番札所 西山 善峰寺 (にしやま よしみねでら)


         本  尊 : 千手千眼観世音菩薩          真  言 : おん ばざら だるま きりく
         秘  仏 : 毎月第二日曜日 本尊御開帳
         開  基 : 源算上人(げんざん)          開  創 : 1029(長元2)年
         宗  派 : 天台宗単立寺院
         御詠歌 : 「野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立」




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納経帳   カラー御影
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「西山宮門跡」の標示 「仁王門」の両脇の金剛力士像は運慶の作
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「観音堂」 は元禄5年(1692年)に再建されたものといわれている。
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「多宝塔」 (重要文化財)  賢弘法師によって再建された。         
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「遊龍の松」 天然記念物に指定されている五葉松
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桂昌院による 「しだれ桜ともみじ」 の寄せ植え
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「釈迦堂」  合掌姿(おがむすがた)のお釈迦さまは、他に例がない。
上人作の像は釈迦岳で信仰されていたが、明治に下山、お堂が出来た。

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「奥の院薬師堂」 桂昌院の両親が祈願したという出世薬師仏を祀る。
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■ 略縁起・歴史・由来

 比叡山横川の恵心僧都源信の弟子源算上人がこの山に登り、阿智阪明神の化身である老翁に出会って、その地を譲り受け、寺を建立し十一面観音像を刻み本尊としました。
 また源算上人が険しい土地を切り拓くのに困っていると、現れたイノシシの群れが寺の用地をならしてくれたと言う言い伝えもあります。
 源算上人は、一生この山を出ることなく修行を続け、117歳の天寿をまっとうしました。その後、白河天皇が諸堂を建てて西山の名刹へとなっていったようです。

 鎌倉時代には慈円大僧正や浄土宗西山派の祖、証空上人が、また、青蓮院の宮様が代々当寺の住職をされたので西山宮門跡と称されたという。
 白河天皇が諸堂を建設し、後に、後花園天皇が伽藍を改築、大いに栄えたが、応仁の乱で全てを焼失。その後、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により寺は復興した。

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■ 境内模様・見所

 観音堂中央に、ご本尊の仁弘法師作十一面千手千眼観音像、向かって右に源算上人作といわれる十一面千手観音、左に桃山時代の聖観音。
 創建時は脇侍が本尊だったようですが、後朱雀天皇が東山の高台寺付近にあった鷲尾寺の像を移し、これが本尊になったとの寺伝があります。

 ●「天然記念物 遊龍の松」
  齢約600年以上の五葉松で、龍が遊んでいる様な全長40数mにも及ぶ。日本一の松と人口に膾炙(かいしゃ)されている。
 ●「しだれ桜ともみじ」
  桂昌院による、しだれ桜ともみじの寄せ植え。樹齢300年ほどで当山を代表するしだれ桜。
 ●「落ちないお守り」
  神戸震災の時、大きく崩れ落ちた阪神高速道路の高架から、落ちそうな所をギリギリ落ちなかったという観光バスの運転手が、当山のお守りを持っていたということから、「落ちない」にかけて、近頃の受験生に人気があるようです。




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