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      西国第二十一番札所 菩提山 穴太寺 (ぼだいさん あなおうじ)


         本  尊 : 薬師如来(観音霊場本尊 聖観世音菩薩(しょうかんぜおん))         真  言 : おん あろりきゃ そわか
         秘  仏 : 聖観世音菩薩は33年に一度のご開帳
         開  基 : 大伴古麿(古麻呂)          開  創 : 705年(慶雲2年)
         宗  派 : 天台宗
         御詠歌 : 「かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声」




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納経帳   カラー御影
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「仁王門」 は京都府の登録文化財
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本堂と仁王門の間に手水舎がある。
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「鐘楼」 は京都府の登録文化財  
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「本堂」 は享保20年(1735年)に上棟、再建された。
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本尊の薬師如来と札所本尊の聖観世音菩薩を安置
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「多宝塔」 は京都府の文化財 釈迦如来と多宝如来を安置
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「地蔵堂」 の南側には 「宇治宮成の墓」がある。
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■ 略縁起・歴史・由来

 寺名は、桑の木の穴に生えていた稲穂を植えたところ良く実り、村人が飢饉から救われたということから『穴穂寺』、「穴生寺」「菩提寺」などと呼ばれていました。

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■ 境内模様・見所

 本堂は、江戸時代に造られた武家屋敷風の陣屋造りです。床の間裏には、でんでん返しがあり、見張り部屋や地下牢まであるといいます。
 御本尊は中央に薬師如来(絶対秘仏)、向かって左に聖観世音菩薩、右に聖観世音菩薩のお前立ち。聖観世音菩薩は33年に一度のご開帳。
 毎年八月九日は孟蘭盆会精霊迎えの浄行の日にあたり、古来よりこの地方一円の新仏を当山にてお迎えする習慣があり、終日境内は善男善女の参詣で賑わいを見せます。そしてこの日は、書院と庭園とともに、数ある寺宝の一部を公開しています。

  ●『庭園』
    庭園は本堂や多宝塔の東部を借景にしており、江戸中期から末期にかけての手法をよく表現した名園のひとつです。夕陽の沈む西庭の景観もまたすばらしいものです。

  ●『大涅槃釈迦像』 (常時拝観可能)
    本堂内の鎌倉時代の作といわれる黒光りする木彫涅槃像は、檜材の寄木作りで、全国にも六例しかない貴重な仏像、市の文化財に指定されている。
    参詣者が直に触れることが出来、けがや病気を治したい人は、涅槃像の同じ部分に触れて、お祈りをしながら撫でると願いを効き入れてくださるという。

  ●『本尊は観音功徳の伝説を残し、盗難で行方不明』
    昔、宇治宮成という乱暴者が、聖観音像を彫ってくれた仏師に自分の馬を与えたものの、やはり馬が惜しくなって仏師を射殺してしまった。
    ところが仏師は生きていて、かわりに聖観音像の左胸に矢痕があったそうです。改心した男は出家して穴太寺を建てたというものです。
    これは、観音の功徳を説く説話と思われるが、以後、この寺は「身代わり観音」の寺として信仰を集めてきたのは事実であろう。
    しかしこの重文の聖観音は、昭和43年に盗難にあいいまだ行方不明とのこと、なんと罰当たりな者がいるのでしょう。

  ●『寺に残るもう一つの伝説』
    昔、安寿と厨子王が山椒太夫に捕らえられます。二人は焼け火箸で額を焼かれますが、傷口に仏像を当てると火傷が治り、代わりに仏像の額に傷跡が残りました。
    安寿は厨子王を逃がしますが、この時厨子王をかくまったのが穴太寺だったというのです。厨子王は、後にこの仏像を穴太寺に奉納したのです。





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