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      西国第二十四番札所 紫雲山 中山寺 (しうんざん なかやまでら) 


         本  尊 : 十一面観世音菩薩          真  言 : おん まか きゃろにきゃ そわか
         秘  仏 : 正月三ヶ日と毎月18日には開扉
         開  基 : 聖徳太子          開  創 : 推古天皇時代(593〜628)年
         宗  派 : 真言宗中山寺派
         御詠歌 : 「野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へ参るは 後の世のため」




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納経帳   カラー御影
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「山門」 仁王門の像を囲んでいる柵に小さな「わらじ」が
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「本堂」 豊臣秀頼によって再建、桃山時代の代表的な仏堂建築
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「開山堂(聖徳太子堂)」 震災後、護魔堂を参考に新築された。    
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「手水舎」 蓮の花をイメージし、台座に菊の紋がはいる。
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妊婦への配慮で、エレベーター、エスカレーター完備。24時間開門。    
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「大師堂」 西国三十三所お砂踏み、子授け祈願、願布。 
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「大願塔」 大きな多宝塔は、永代供養、特別永代供養。
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■ 心念 Youtubeチャンネル

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中山寺 
【この日は、一生分の参拝の功徳が得られます】
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延命十句観音経 超やさしい現代語訳 
【3分見るだけで仏教の教えが理解できる?】
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観音経 超やさしい現代語訳 
【7分見るだけで意味が理解できる】
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中山寺 公式webサイト 



■ 略縁起・歴史・由来

 聖徳太子が四天王寺を建てるのに適した土地を探しているとき、太子に滅ぼされた物部守屋が悪鬼となって現れたが
 太子は「菩薩様、私をお守り下さい」と祈ると悪鬼は退散した。
 その夜、仲哀天皇の妃、大仲津姫の「この地より北に紫の雲のたなびく地がありますので、その山に寺を建て亡き人々をお祀り下さい。悪鬼も鎮まるでしょう」
 という声が聞こえた。このお告げに従い、聖徳太子は、推古天皇の代(600年頃)にこの寺を開創したという。

 中山寺の創始に関しては、上記に類似した伝説が幾つかあるらしい。
 聖徳太子によって滅ぼされた物部守屋の霊を鎮めるためと、仲哀天皇の妃、大仲津姫と二人の皇子、香坂(かごさか)王と忍熊(おしくま)王の供養のために
 推古天皇の代(600年頃)に聖徳太子が開創した、という説が強いようである。


 御本尊のお姿はインドの勝鬘夫人(インド中古のアユジャ国の王妃で、仏法に帰依し、釈尊の教えをことごとく悟得された女性)が女人救済の悲願をこめて
 自ら等身像を彫刻されたことに故実する尊像と伝えられています。
 すべての人の正しい願いを聞き入れて、世の憂いや苦しみを取り除き、心の畏れるところのない境地を与えられるご本尊本来の願いを
 その両御手にあらわされているのも、当山にみられる特別なお姿であり、平安初期の他に類のないすぐれた尊像の由縁です。

 また代々皇室の崇信もあつく、安産祈願本邦随一の霊場として、源頼朝をはじめ武家・庶民にも深く信仰されていました。
 ことに、豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼を授かり、秀吉亡き後、秀頼は片桐且元に命じ、伽藍再建をしました。これが現在の伽藍です。
 草創以来、長い歴史の中で当山は多くの物語でかざられ、世に名高い謡曲「満仲」や「菅原伝授手習鑑」は
 平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものです。

 満仲より8代目の多田城主は源行綱です。彼の妻は不信心による悪態をご本尊が鐘の緒をもって戒められたと伝えられており、その鐘の緒はいまでも保存されています。
 以来中山寺の「鐘の緒」といわれて、女性の大役である出産の無事安泰を守る「安産の腹帯」として、数百年たえることのない日夜の祈念をいたしております。
 ことに幕末には、中山一位局を当山の鐘の緒をうけ、明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳を高め
 「安産の寺」としても名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を授かりにまいられます。

 西国巡礼が始まった初期の頃は、この中山寺が第1番の札所でした。「極楽の中心が中山寺である」とされたのです。

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■ 境内模様・見所

 北摂の地に、紫の雲たなびくといわれる中山寺は、聖徳太子の創建によるとつたえられる我が国最初の観音霊場です。
 御本尊は、インドの王妃勝鬘(しょうまん)夫人が女性を救う悲願を込めて刻んだと言われる十一面観世音菩薩で、古くより安産・求子の観音として数多くの婦人より篤く信仰されてきました。
 脇仏も、運慶・湛慶作の十一面観音菩薩で、三体の観音様の顔を合計すると33になり、ここにおまいりすると33霊場をお参りしたのと同じご利益があるとされています。

 毎年八月九日夜に行なわれる『中山寺星下り会式(おおえしき)』という行事があります。これは西国三十三所の観音さまが星になって集まるという伝説から始まったものとされているのです。
 現在の本堂は、豊臣秀頼によって再建されたもので、豊臣秀吉が世継ぎ誕生祈願をして秀頼を授かって以来、安産祈願で有名になり
 「鐘の緒」と呼ばれる腹帯をいただいて安産祈願をし無事出産後はお宮参りの際、これを奉納するのだそうです。


境内諸堂配置略図 境内 境内



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