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      西国第二十八番札所 成相山 成相寺 (なりあいさん なりあいじ)  


         本  尊 : 聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)「木造・平安期」          真  言 : おん あろりきゃ そわか
         秘  仏 : 三十三年毎 (2038年)
         開  基 : 真応上人          開  創 : 704(慶雲元)年
         宗  派 : 橋立真言宗(真言宗単立)
         御詠歌 : 「波の音松のひびきも成相の 風ふきわたす天の橋立」




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納経帳   カラー御影
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ケーブルカーで、日本三景の一つ「天橋立」を一望する景勝地へ 
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「山門」 には見事な彫刻が施されているがバスはもっと上まで
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「本堂」 は入母屋造りで正面は軒唐破風(のきからはふ)で飾られている                 
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「鉄湯船」 鎌倉時代は薬湯を沸かし、怪我や病気の人を治療した
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「撞かずの鐘」 悲しい伝説を秘めたつかずの鐘で有名
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「五重塔」 (平成五重塔) 西側に天橋立を見る展望所がある 
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左甚五郎の作といわれる 「真向(まむき)の龍」 の彫刻
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■ 略縁起・歴史・由来

 成相寺は天橋立を望む成相山の中腹にあり、元々は日本古来の山岳宗教の修験場でした。日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めてきた。
 その中で文武天皇の勅願所として慶雲元(704)年に真応上人が創建したと伝えられている。悲話を伝える撞かずの鐘、奇怪な話の底なし池、美人観音として名高い聖観世音菩薩などがあり、しゃくなげの名所で千本もあります。

「身代り観音」
 一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。
 すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた鹿が倒れているのに気付がつきました。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。
 やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居ました。
 それを知らされた僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。此れよりこの寺を願う事成り合う寺、成合(相)寺と名付けました。

「撞かずの鐘」 
 慶長14年(1609年)山主賢長は、新しい鐘を鋳造するため浄財の寄進を募ったとき、裕福そうな家の女房が、「子供は沢山居るが寺に寄付する金はない」と言って断った。
 鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱えて見物に来ていたが、誤って子供を銅湯となった坩堝(るつぼ)の中に落としてしまった。
 出来上がった鐘をつくと、子供の泣き声、母を呼ぶ悲しい声が聞こえ、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、以後、一切この鐘をつくのを止めたという。
 
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■ 境内模様・見所

 もともと、本堂は現在より山の上に建てられていましたが、山崩れのため現在地へ移転しました。現本堂は安永3年(1774年)の建築です。
 古式に則り、5間4方の入母屋造、正面を千鳥破風、軒唐破風で飾っており、堂内のお厨子に安置された本尊の木造聖観世音菩薩は、平安期のものです。

 本寺は、車道もありますが、ケーブルカーと登山バスを乗り継いでお参りされるのも楽しいでしょう。どちらも天橋立を眺めながら上がれます。
 西国札所最北端のお寺で、冬は雪が深くなりますが成相寺から見る雪の天橋立も格別です。
 

境内 境内



                   

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