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      西国第三十番札所 竹生島 巌金山 宝厳寺 (ちくぶじま がんこんざん ほうごんじ)

         本  尊 : 千手千眼観世音菩薩          真  言 : おん ばざら たらま きりく

         秘  仏 : 60年に一度開扉
         開  基 : 行基菩薩 聖武天皇の勅願          開  創 : 724(神亀元)年
         宗  派 : 真言宗豊山派 大辯才天
         御詠歌 : 「月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして」




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納経帳   カラー御影
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宝厳寺 参道は167段の急階段
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苔生した唐門と西国三十番札所観音堂
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藤原様式の本堂(弁才天堂)         
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秀吉の御座船(日本丸)の用材が使用された船廊下
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竹生島神社御本殿
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三重塔
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長浜港から琵琶湖汽船
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■ 略縁起・歴史・由来

 琵琶湖の北に浮かぶ竹生島。周囲はおよそ2キロメートル、切り立った岩壁に囲まれた島です。そんな神秘的な島に、船で参拝します。

 神亀(じんき)元年(724年)に聖武天皇の勅願により、行基が竹生島に来島し、弁才天像を造り小堂に安置したのがこの寺の創始と伝えられている。
 聖武天皇は、夢枕に立った天照皇大神より「この島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民富楽となるであろう」というお告げを受けた。
 行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻しご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。
 それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師など来島修行されたと伝えられています。

 太閤秀吉の遺命により、秀頼が京都東山の「豊国廟より」桃山時代の代表的遺稿である「唐門」を移築させ、「伏見城」より「観音堂」を移築させた。
 観音堂と渡り廊下で結ばれているのが都久夫須麻神社の本殿で、これも伏見桃山城からの移築といわれます。
 この渡り廊下は、「船廊下」(重要文化財)とよばれ秀吉の御座船(日本丸)の用材が使用された。

 本堂の弁財天内陣には、わずか25センチの弁財天像がまつられているといいます。
 この弁財天像は、宮島・江ノ島のそれとともに「日本三弁財天」のひとつで、25センチながら正式には『大弁財天像』です。
 またこの像は秘仏で60年ごとに開扉とありますが、お前立が私たちを迎えてくれます。
 本堂内陣には、浅井久政が永禄8年(1565)奉納した弁財天像が安置されている。

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 弁財天様も観音様も浅井家代々がたいへん信仰してきた仏様です。
 浅井三姉妹(あざいさんしまい)は、戦国時代の武将浅井長政と正室市との間に生まれた3人の娘、茶々、初、江を指す。
 それぞれ豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正室・側室)となった。天下統一を進めた織田信長の姪という血筋に生まれ、2度の戦国大名家の没落・落城や両親の死を経験し
 その後天下をめぐる豊臣家(羽柴家)と徳川家の天下の覇権争いに深く関わったことから、母・市と並んで戦国の女性の代名詞として語られることが多い。

境内



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